○ 題名 「学校に行けないこどもたち」 --------------------------------------- ○ 登場人物 山口茜(朝日が丘小学校6年生) 島津夏美(朝日が丘小学校6年生) エリカ(朝日が丘小学校6年生) ヒロシ(朝日が丘小学校6年生) 緑川先生(33歳・茜たちのクラス6年3組の担任教師) 山口朝子(38歳)・茜の母親 島津美津(38歳)・夏美の母親 島津甲介(40歳)・夏美の父親・内装業者 三枝(45歳男性)・シックスクールを考える父母の会の代表 PTA会長(40歳・男性) 大石校長(55歳・女性校長) 靖子(28歳・養護教諭) 斉藤医師(50歳)クリニック診療所の医師 山室先生(55歳男性)・化学物質過敏症を専門とする大学教授・臨床医 柳井和子(45歳)・市会議員 市役所職員(38歳) --------------------------------------- 【シナリオ構成 (1時間ドラマ)】 Prologue: ・読書感想文を級友たちに読む緑川先生 ・北海道の原野にいく茜。 ・理解できぬ級友たち。 ・夏美が茜のことを思い出す。 Act-1: ・茜が発症する。 ・保険係の夏美は茜と保健室に行く。 ・級友の無理解。 ・診療所では、原因が分からない。 ・改修工事に原因がある? Act-2: ・茜の母が調査をして、化学物質過敏症ではないかと動き出す。 ・学校長をまきこんでの折衝。茜の母と夏美の母。 ・環境調査をする。 ・だが環境値は、規定よりも低い。 Act-3: ・級友の無理解。 ・茜はクラスメートの健康を思って、再度被曝し、検査する。 ・大学での精密検査。 ・茜の症状が悪化する。転校を模索するが、それも果たせない。 Act-4: ・学校に行けぬ茜に、夏美がノートを届ける。 ・何も変わらない。 ・茜が作文を書く。 Ending: ・茜のところに夏美の手紙が届く。 ・化学物質過敏症は珍しい病気ではない。茜のような症状の児童が一人いると、全体の1割はこの病気の罹患者だという。だが、ありふれた症状であるため保護者は気がつかない。そして、こどもたちの健康を一番に考える側の学校の大人たちもその病気が発生していることは、自分たちの過失を認めることになるので、たとえこの病気が発生していても、その対策をとることはおろか、その事実さえ知らせようとしない。 ・茜の思いは、クラスメートたちに伝わったのだろうか…。 --------------------------------------- 【シナリオ本文】 ○ 6年3組の教室。 小学校の担任教師の緑川(33歳)が、ホームルームで、こどもたちに向かっている。先生は市のつくった読書感想文の冊子をこどもたちに配る。 緑川先生「この地域の小学生たちが書いた読書感想文の本だ。みんな、夏休みの宿題で書いた感想文の優秀なものが載っている」 ヒロシ「(ページを目ざとく見つけて)おい、夏美の感想文が載って」 クラス中がざわつく。どれどれとページがめくられる。 クラスの輪の中で恥ずかしそうにしている夏美の姿がある。 ヒロシがたちあがり、夏美の感想文を読み始める。 ヒロシに注目するクラスの子どもたち。夏美を羨望と嫉妬で見つめるクラスメート。 緑川先生は、しばらくその様子を眺めている。 ヒロシ「ファーブル昆虫記を読んで。島津夏美。夏休みのある日、お父さんがこれを読みなさいといって、ファーブル昆虫記の本を買ってきました。『私はムシキングなんかに興味はない』。私は心の中で呟きましたが、お父さんにそれを伝えることはできません…」 ヒロシの朗読の声に、陰鬱な夏美の表情がかさなる。 夏美の心の声「茜ちゃんはどうしているんだろう…」 ○ 山道 茜は険しい山道を登っていく。茜の息ははずんでいるが、それは見る人に苦しさを感じさせない。そんな生命の息吹だ。 山道を抜けると、高原が広がっている。 ○ 高原の小学校 大自然の中にふるめかしい木造校舎の小学校が現れる。 茜は満ち足りた表情で校舎を仰ぎ見る。 ふるめかしいが手入れの行き届いた小学校の校舎に作品タイトルが載る。 ○ 作品タイトル 「学校に行けないこどもたち」   ○ 朝日が丘小学校 (以下は、夏美の回想シーンです) コンクリートの都会の小学校。校庭の桜はすでに散り始めている。 裏門でトラックに部材を積み込む幸介(内装業者・夏美の父)。 3階の廊下側の窓から、夏美が幸介に手を振る。幸介は夏美に気がついて、手を振りかえす。 市役所の若い担当者がやってくる。 甲介(内装業者・夏美の父)「春休みのうちに終わるように残業、残業でやってはみたんですが…」 市役所役人「いやぁ、いつも無理なことばかり頼んで悪いね」 幸介「今度の土日で足場を外せば、工事は全部終了です。ほんと、今回は工事がおくれちゃって本当に申し訳ありませんでした。」 市役所役人「いやいや、こっちこそ。三学期が終わってからの短い期間で、教室を改装しようってのがそもそも無理なんだよね」 幸介「無理でもいいじゃないですか。大人たちがこどもたちに、新学年をきれいな教室でスタートしてほしい。その気持ちはすばらしいことですよ」 市役所役人「そういってくれると嬉しいけど、なんか残業ばっかりさせて申し訳ないなぁ…って」 幸介「私の娘もこの小学校に通ってます。娘にはきもちいい環境で思いっきり勉強して欲しい。それはこどもたちは勿論、先生方もわれわれPTAも変わらない。こうして校舎をきれいにできるのも、ほんとうに豊かな日本でよかったって思いますよ…」 ○ 保健室 茜がベッドに横たわっている。養護教諭の靖子(28歳)が体温計の温度を確かめる。 夏美が扉を開けて入ってくる。 靖子「熱はないようね」 夏美「(保健室には不似合いな元気さで)茜ちゃん大丈夫?」 茜は顔面蒼白で、じっとしたままである。 靖子「夏美ちゃん。保健室に来て寝てるんだから、元気な訳がないでしょ。(茜に)吐き気がするのね。茜ちゃんは、もう生理になってるのかしら」 茜は恥ずかしそうに首を横にふる。 夏美「(茜に恥ずかしそうに)…そう。あたしも実はまだなんだ」 靖子「生理が原因じゃないのか。(少し考え込むが、何かの答えを打ち消すように)小学校の高学年の女の子って、ちょうど体が大人になる時期だから、気持ちが悪くなるなんて、よくあること。少し休んでみて、直らなかったら、お家に連絡してあげるから、お母さんに迎えに来てもらって、今日は早退すればいいわ」 夏美は心配そうに茜を見つめている。 ドアのすきまから、クラスメートの慶太とヒロシが保健室を覗き込んでいる。 夏美はふたりの視線に気づいて外に飛び出す。 ○ 6年3組の教室 放課後のひとときである。 ヒロシ「茜。あれになったのかよ」 エリカ「ヒロシってヘンタイ。女子がちょっと気分が悪いっていうと、すぐそういう想像するんだから」 夏美「ほんと、このクラスの男子って、エッチなんだから…」 と、男子たちを仲間はずれにして、エリカは夏美に耳元でささやく。夏美もエリカに耳元でささやく。 エリカ「(意外そうに)えっ、そうなの?」 興味津々のヒロシ。 夏美「だから、男子は関係ないっつーのッ!」 ○ 茜の家・ダイニングキッチン 朝子がテレビドラマを見ている。すでに夕食は片付いているが、茜の分だけにラップがかけられている。 パジャマ姿の茜が入ってくる。 朝子「大丈夫?」 茜はぶすっとしたまま、テーブルに座る。そして、ラップをかけられたおかずを見回し、 茜「アイスクリームってあったっけ…」 朝子「(むっとして)あなた、気持ちが悪いなんて気のせいだったんじゃないの」 茜「(表情が固まる)---。そんな…」 茜は、冷凍庫の中を覗いてアイスクリームを探す。その背中に、テレビを見ている朝子が語りかける。 朝子「あなた反抗期で、最近ちょっとわがままになったんじゃないの。今日だって、わざわざ学校まで迎えに行かされて、おかあさん迷惑だったわ」 茜「(振り返り)何よ、その言い方ッ」 朝子「(カチンときて)娘のあなたに言い方を指図されることはないわ。あなた、体なんてどこも悪くなくて仮病だったんじゃないの」 茜は大きな音を立てて冷凍庫の扉を閉めると、ダイニングキッチンを出て行く。 ○ 四月のカレンダー 四月も半ばである。 ○ 保健室につづく廊下 を、茜につきそって、夏美が歩いている。 ヒロシの声「いいよな。保健係って授業をさぼれて」 顔面蒼白の茜がベッドに横たわる。 他の男子の声「勉強をさぼりたいだけで、どうせ仮病なんだろ」 夏美「(男子に)ちょっと。うるさいな。(茜に)茜ちゃん、大丈夫」 茜「(顔をひきつらせながら)ごめんね…。夏美ちゃん」 ○ 茜の家 夕食。茜が椅子から崩れ落ち、うずくまる。 茜「いたいよ、いたいよ…」 朝子「茜。どこが痛いの? はっきり言いなさい」 茜「頭。頭が…」 ○ 斉藤クリニック・外観 近代的な建物のクリニックが商店街の中にある。 ○ 診療所・診察室 斉藤医師(50歳・男性)が診察している。 斉藤医師「頭痛薬を出しておきましたから、安静にしていれば、じきに痛みも収まるでしょう」 朝子「先生、病名は?」 斉藤医師「お子さんぐらいの年頃は成長期だし、精神的にも肉体的にも不安定だから、いろいろな原因が考えられますね…」 朝子「はぁ…(不安げ)」 斉藤医師「まずは休養、そして、安静。それが大事ですね。御大事に」 朝子は、医師にとりつくしまがない。 ○ 6年3組の教室 授業を受けている夏美が窓の外を見やる。 茜が母親に付き添われて早退していく。 夏美の声「茜ちゃんは、決まって3時間目ぐらいから身体がだるいとか吐き気がすると保健室に行くようになっていました」 エリカが授業を受けている。クラスの他の女子たち。 夏美の声「私たちはまだ生理じゃなかった。なのに、茜ちゃんはだるいとか熱っぽいとか吐き気がするという。事情を知らないクラスの女の子たちは、生理の痛みが辛いのには同情するけど、茜ちゃんのことを、ちょっと授業をさぼりすぎだと思っていたと思う」 ○ カレンダーがめくられる。 四月のカレンダーがめくられると、五月。ゴールデンウィークの休日が赤い数字で並んでいる。 ○ 茜の家 夏美は、茜の部屋に授業のノートを見せている。 茜の母親の朝子(38歳) 朝子「夏美ちゃん。いつもありがとう。いっつも保健室に茜を連れてってくれてるんだってね」 夏美「あたし、保健係ですから」 朝子「ほんとうにありがとうね。茜も最近はだいぶ体調が戻ってきたみたい」 夏美「茜ちゃん、よかったね」 朝子「(茜に)学校に行かないと調子がいいなんて、この子、ぜいたく病なのよ」 茜「(不満げに)おかあさん!」 朝子「だって、ディズニーランドに行くときは平気で早起きするのに、最近は朝、ぎりぎりまで寝てるじゃない」 茜「(返す言葉がない)…」 朝子「(夏美に)夏美ちゃんには、いつも迷惑ばっかりで、ごめんね。(茜に)あなた、来年は中学受験なんだから、ゴールデンウィークが終わったら、もっと気合を入れて勉強しなくっちゃね。」 夏美「…。(自分に言い聞かせるように)学校に行かないと身体の調子がいいって、どういうこと…」 ○ 5月のカレンダー ゴールデンウィークは終わっている。 ○ 保健室につづく廊下 を、茜につきそって、夏美が歩いている。 顔面蒼白の茜がベッドに横たわる。ゴールデンウィークと同じ風景である。 ○ 窓から見える風景 茜が朝子とともに早退していく。 夏美の声「やっぱり学校の何かがいけない。でも、何故なんだろう…」 ○ 朝日が丘小学校校庭 全校児童が入場行進を練習している。 ○ 保健室 夏美が校庭の練習を眺めている。 靖子「おめでとう。これで夏美ちゃんも大人の仲間入りね」 と、にこやかに靖子は夏美に語りかける。 夏美「(生理になった憂鬱な気分で)はぁ…」 低学年の児童が数人休んでいる。 4年生の児童が四、五人はいってくる。 4年生の保健係の女子「先生。みんな気持ちが悪いって…」 ○ 夏美の家・食堂 いつもの夕餉である。甲介の茶碗に赤飯が盛られる。 甲介「ええッ。そうか。そいつはめでたい」 夏美「めでたいんだかどうだか」 甲介「そうかぁ?」 夏美「お父さんはいいよね。生理なんて、痛くなるし、めんどくさいし、恥ずかしいし、何がめでたいだか…か。ね、ママ」 美津「でも、茜ちゃん心配よね。原因不明だなんて…」 甲介「茜ちゃん、どうかしたのか?」 夏美「茜、学校に行くと必ず熱っぽくなったり、吐き気がしたりするんだって…」 甲介の表情が瞬く間に凍りつく。 テレビのニュース特集で、シックハウスの特集をしている。 ○ テレビの画面 夕方のニュースショーである。男性キャスターがカメラに向かっている。 アナウンサー「さて、特集です。視聴者のみなさんは、シックハウス症候群という病気をご存知でしょうか。新築の家を喜んび勇んで入居したものの、お子さんが、頭が痛くなったり吐き気がするという症状をうったえることはありませんか。もし、そんなことかあったら、あなたの家族はシックハウス症候群に侵されているかもしれません。」 不安を煽る音楽が流れていく。 ○ 夏美の家・茶の間 美津が茜の母親の朝子に電話をしている。 美津「…そうなのよ。その病気ってお医者さんでもあんまり知らないんだって」 ○ 斉藤クリニック・外観 そのたたずまい。 ○ 斉藤クリニック・診察室 斉藤医師が診察している。 朝子「先生。この子、シックハウス症候群じゃないでしょうか?」 斉藤医師「シックハウスねぇ…。化学物質過敏症ですか。お宅、家を新築されたんですか?」 朝子「いいえ…」 斉藤医師「化学物質過敏症だったら、日常生活なんてできないでしょう」 朝子「はぁ…(不安げ)」 斉藤医師「まずは休養、そして、安静。それが大事ですね。御大事に」 朝子「(はたと気づいて)そういえば、茜の小学校の教室が新しく…。もしかして」 斉藤医師「ご存知かもしれませんが、私は朝日が丘小学校の校医もしていますが、そんな話は聞いたことがありませんよ」 朝子「(校医の無責任な発言にあきれ果て)…」 ○ 大学病院 大きくて立派な大学病院のたたずまい。 ○ 診察室の待合室 壁には、化学物質過敏症の患者たちのために「整髪料や化粧品を使っている人は入室禁止」の張り紙がある。 ○ 大学病院・診察室 茜が眼をつぶって立っている。みるみるうちに体がぐるぐるとまわりだす。 大学病院の山室医師(55歳)は、血液検査や各種の反応試験を行う。 夏美の声「内装業をしている私のパパは、シックハウスを専門にしている大学病院を知っていました。シックハウスの原因は、ペンキや糊などに含まれる揮発成分です。改装工事が終わっても、すぐにペンキや糊は乾くわけではありません。わずかな揮発性の物質が人体のまわりにありつづけることで、いつしか体に影響がでるのです」 山室医師は、聴診器を茜の胸にあて、トントンと背中を打つ。そして、聴診器をはずして、 山室医師「検査の結果が出なければはっきりしたことはいえませんが、化学物質過敏症に間違いないと思います」 朝子「…ということは、シックハウス」 山室医師「よくご存知ですね」 朝子「知り合いに内装業者の方がいらっしゃって、その方が業界全体でシックハウスの対応に取り組んでいるって…」 山室医師「お宅は最近お家を新築されたんですか?」 朝子「いえ。同じ家にずっと住んでますし、ペンキの塗り替えや壁紙の張替えもやってないんです。ただ」 山室医師「ただ?」 朝子「この子の生活している環境でたったひとつ気になっているのが学校なんです。内装を新しくした教室で、この四月から勉強しているんです」 山室医師「シックスクールですか。それは困ったことになりましたね」 朝子「シックスール?」 山室医師「学校の環境が原因でシックハウス症候群、つまり化学物質過敏症が発生することをシックスクールって言うんです。シックハウスは少しづつマスコミでとりあげられて知っている人もでてきた。でも、シックハウスというと、家を新築できる人。だから、金持ちの病気と思ってしまって、自分の家族には関係がないことだって思っている人が多い。でも、シックスクールは、学校にこどもを通わせているなら、どんなこどもにも起きる可能性があるんです。まずは、おこさんの教室の環境を調べてみる必要がありますね」 ○ 6年3組の教室 日曜日、クラスの保護者たちが集まっている。その中に、朝子も美津、甲介、担任の緑川もいる。 シックスクールを考える父母の会の代表である三枝(45歳)が、教室の窓を念入りに締めている。 検査業者は、検査セットを取り出し、机の上にセットした。検査セットは、教室の微量な浮遊物質を測定するものである。 三枝「はい。それじゃ、皆さん教室から出てください」 三枝の声に促されて、保護者たちは教室から出て行く。 ○ 6年3組の教室の外 三枝は、教室の扉をガムテープで封印する。 美津「(三枝に)そんなに厳重に閉じるんですか?」 三枝「そうですね。とても微量な浮遊物質を測定するんですからね」 美津「こういう環境試験って、よく行われているんですか?」 三枝「普通の人は知らないのかもしれませんが、かなり行われているんですよ。何しろ、国が環境の基準値を定めてますからね。私の娘が学校でシックスクールが起きた六年前は、何の基準もなかった。」 朝子と茜、夏美がその話を真剣に聞いている。 夏美「茜ちゃん、大丈夫?」 朝子「今日は大学病院でもらった活性炭入りの特製マスクをしているから大丈夫。そうよね(と茜に)」 茜がうなづく。 朝子「自分の体に何が起きているのか。自分の環境に何が起きているのか。それをしっかり知らないとね」 茜「…」 三枝「(ガムテープでしっかりと封印したうえに、マジックでサインをする)今日は学校関係の人はいないからそんなことはないでしょうけどね」 美津「どういうこと?」 三枝「学校関係者が検査結果を低くしようとして、窓を開けようとしたことがあったんです」 美津「あら、緑川先生、ドアを窓を開けたりしないでしょうね」 緑川先生「私は担任ですけど、学校環境を管理する側じゃないですからね…」 と、緑川は苦笑する。 美津「それじゃ、当番の人だけが順番に見張りにつくことにして、検査が終了する夕方の6時に、都合のつく方はもう一度集まってください。それじゃ、いったん解散」 ○ 日が傾いてきた。 ○ 学校の玄関の外 折りたたみの椅子が出されて、三枝と朝子、美津が座っている。茜と夏美は携帯用のテレビゲームをしている。 美津「5年前は環境基準もなくて大変だったけど、いまは環境基準を測れば、シックスクールが発生しているかどうか分かるし、もし、シックスクールが起きているなら、風通しを良くしたり、空気清浄機を設置すれば環境は改善できる…」 三枝「いやいや。そんなに簡単なもんじゃないんですよ。私の娘の学校でシックスクールが発生したときの学校の環境を目安に文部省は学校の環境に関する基準を定めた。でも、この病気はそんな単純なものじゃない」 美津「だって、有害な環境にいることで病気になるって、一種の公害病ですよね。基本的には、水俣病や四日市喘息と変わらないんでしょ」 三枝「いやいや、そこが大違いなんです。そのことを現場の教師をはじめとして、ほとんどの人が理解していないんです。国の環境基準を満たしていれば、おこさんの病気は親のせいにされてしまう。逆に、環境基準をみたしていなければ学校の責任になる。この病気は誰かが責任をとったり、とらされたりしておしまいなんていうもの単純な話じゃない。現代の生活は簡単で便利なものが増えています。そのうえ最近の日本人は過度の衛生意識から、以前とは比べ物にならない程、さまざまな化学物質に接している。そういうさまざまな要素が絡まりあって、この病気ができあがっているんです」 美津も朝子も悄然とする。 ○ 雨が降っている。 梅雨である。 ○ 図工室 6年3組全員が、揮発性の絵の具を使って創作に取り組んでいる。 茜と夏美も真剣に取り組んでいる。 茜は活性炭入りの特製マスクをしている。 夏美の声「化学物質過敏症にいったんなってしまうと、問題になった環境だけではなく、その他のさまざまな揮発性物質に敏感になってしまうそうです」 ○ 廊下 マスクをした茜と夏美が歩いてくる。すれちがった他のクラスの男子がからかう。 1組の男子A「マスクなんてして、茜、お前、風邪引いてんのかよッ」 1組の男子B「花粉症の季節じゃあるまいし、カッコわりーッ!」 夏美「何いってんのよ。茜は、化学実質過敏症っていって、学校の工事で…(と、言いかけて、長くて難しい説明になってしまうので、説明を諦める)」 茜「(夏美に)…いいよ」 と、茜はマスクをはずして、マスクをポケットにしまう。 夏美「大丈夫…?」 ○ 6年3組の教室 緑川先生が黒板を背に授業している。 茜と夏美が並んで黒板を見ている。茜は活性炭入りの特製マスクをしていない。 夏美の声「一ヶ月経って、わたしたちの教室の環境検査の結果が出ました。結果は、国の環境基準を満たすものでした。教室で緑川先生からそのことを聞いたことはありませんでしたが、先生もきっと胸をなでおろしたんじゃないでしょうか…」 ○ 体育館 6年3組全員が体育の授業をやっている。バタリと音がする。 一瞬のうちに、クラス全員が倒れた茜の周りに集まる。 夏美「茜ちゃんッ!」 緑川先生の声「大丈夫か」 夏美の声「でも、茜ちゃんの病気は治っていなかった…」 ○ 大学病院・診察室 大室医師は聴診器で茜を診察する。朝子が背後の丸い椅子に座っている。 大室医師「環境基準を満たしているから、学校も動かないんですか---。馬鹿な話ですね。私は国の研究会に出て発言もしているのに、現場は何も変わっていないんですね。いや、現場の人たちに罪はない。正しい情報がないから現場は動けないんだ」 朝子「それってどういうことなんですか…」 大室医師「化学物質過敏症っていうのは、いままでの医学の考え方とはまったく違う性質を持った病気なんです。中毒ってわかりますか。一酸化炭素中毒とか、砒素ミルクの中毒とか、そういうものは、体にはいった毒物の量が多ければ多いほど症状が重くなる。でも、化学物質過敏症の場合は、まったく逆。つまり、毒物の量が少なければ少ないほど、微量であればあるほど、人間の体を狂わせる。そもそも、環境検査に意味はない。罹患者が一人でもいればシックスクールは発生しているんです」 大室医師は、コップに水差しで水を注ぐ。 大室医師「いいですか。このコップが茜ちゃんの体。そして、水が有害物質だとしましょう。このコップの大きさが、体が有害物質を許容できる量。コップの大きさは人によって個人差がある。(水差しでコップに水を注いでいく)シックハウスやシックスクールっていうのは、ここに水を注いでいく状態。(コップから水が溢れる)そして、ある日、身体が許容できる量を越えてしまって症状がでる。 この病気のやっかいなところは、たとえ微量であっても有害物質に長期間触れさせると、その身体を過敏症にさせるということなんだ。実は症状が出るか出ないかは関係ない。その環境に晒されているすべての人が影響を受けている。だから、いま発症しているこどもはいい方で、中学生や高校生になって突然、発症する。つまり、コップから水が溢れ出すようなことがおこる。そうなってしまえば、何が原因で病気になったのか、本人にも回りにも分からない。ましてや許容量の大きい分、体内の化学物質の量も多いから、発症するときは重症になる可能性が高い。茜ちゃんのような症状な子が一人いると、その学校の児童の約1割は化学物質に罹患している可能性があるという医師も存在します」 朝子「ていうと、全校生徒が六百人の一割も…」 山室医師「そう。だけど、悲しいかな、頭痛や吐き気、めまいなんていうありふれた症状だから見過ごしてしまう。頭痛や吐き気だからといって、大学病院で精密検査を受けるなんてことは、ふつうのお母さんはしない。そもそも化学物質過敏症という言葉すら知らない人がほとんどだ」 朝子「どうしたらいいんですか」 大室医師「そうですね。まず、新陳代謝をあげること。つまり、悪い物質が体に入ったとしても、新陳代謝が活発なら、早い段階で毒素が体を出て行く。そうすれば、有害物質の影響を低くすることができる。もうひとつは、揮発物質をなるべく体に入れない。(茜に)だから、学校では必ずマスクをすること。学校の友達にからかわれたり、悪口を言われても、絶対にマスクをとったらだめだよ。(朝子に)あとは、マジックや絵の具など揮発性の絵の具を使う授業については先生と相談して、参加するかどうか決めてください」 ○ 大学病院のパーラー 茜がパフェを食べている。朝子はアイスコーヒーを飲んでいる。 茜「ママ。五百の一割っていくつ?」 朝子「茜、一割っていうのも分からないの? 六百の一割は六十に決まってるじゃない。一割っていうのは十分の一。パーセントっていうのは百分の一」 茜「(慄然として)全校児童で六十人。クラスで三人…」 ○ 6年3組の教室 緑川先生が黒板を背に授業している。 茜と夏美が並んで黒板を見ている。茜は活性炭入りの特製マスクをしている。 エリカがふさぎこむ。 夏美「先生。エリカさんが気持ちが悪いので保健室に行っていいですか?」 緑川先生「はい。じゃ、夏美さん、お願いしますよ」 夏美に付き添われて、エリカは教室を出て行く。 マスクをした茜の表情が硬くなり、思わず手をあげてしまう。 緑川先生「何だ。茜」 ○ 職員室 大石校長(55歳・女性校長)を前に、緑川先生が説明をしている。茜と夏美が横に立ってそれを聞いている。 緑川先生「(校長に)…そうですか」 大石校長「茜さん、あなたはまだ社会の仕組みというのをあまり勉強していなから分からないかもしません。でも、先生はこどもだから分からない。だから説明しないというのは嫌いだから説明します」 茜は身を硬くする。 大石校長「この小学校で一番偉いのは校長先生で、この学校のすべてを決めているのは私だと思っているかもしれない。でも、それは間違い。小学校は、市役所の教育委員会という人たちの指示のもとで運営されている。では、教育委員会の人たちは自分たちのやりたいほうだいに小学校を運営しているかといえば、そうじゃない。市の教育委員会の上には、県の教育委員会があって、そのうえに文部省という国の人たちがいる。分かるかな」 教頭「大石校長、お話中すいません。教育委員会からお電話です」 大石校長「(教頭に)はい。(茜たちに)ちょっと待ってて」 大石校長は、こどもたちと接している口調とはまったく異なる言葉使いで電話で応対する。何か問題があったららしく、電話口でありながら、彼女は頭をさげる。 茜はその変化に驚きながら見ている。 大石校長の電話は終わり、彼女は茜の視線に気づいているが、何事もなかったかのように、話を続ける。かなりの厚顔な女性である。 大石校長「それじゃ、文部省の偉い人になれば、自分のやりたいように小学校を運営できるかといえばそうじゃない。法治国家ってもう習ったかな。日本という国はさまざまな法律があって、どんなに自分でやりたいことがあっても、法律に違反してやってはいけないってことになっているんです。教頭先生から教室の環境調査を行ったことを聞いているし、市役所と教育委員会から環境調査の結果が国の環境基準以下だったとの報告も受けました。だから、この学校にはおかしな名前の病気なんか発生していないんです」 緑川先生「校長先生、でも、茜さんのように実際に症状を訴えている児童もいるんだし、この問題を保護者とこどもたちで共有して、みんなで対策を練ることはできないんでしょうか」 ○ 職員室(別の日) 前のシーンからオーバーラップすると、大石校長の前に、保護者たちが集まっている。その中にPTA会長、朝子と美津、そして、緑川先生がいる。 大石校長「症状を訴えている児童がいることは分かります。でも、それが学校の環境と関係しているかどうかは分からない。何よりも、環境調査の数値は国の基準を満たしている」 緑川先生「でも、ほんの少しだとしても問題が起きている可能性があるのなら、それをみんなで知って、みんなで考えることは大切なんじゃないでしょうか」 大石校長「この問題をプリントに書けば、学校の環境に問題があるかもしれないという不安を煽ることになる。(職員室にはいってくるエリカとエリカの母親がインサートされる)普段から学校に不信感を持っている過激なPTAの中には学校に詰め寄ってくる人がでるかもしれない。ありもしないことで保護者やこどもたちを不安に陥れることになる。そのことに、なんのメリットがあるんでしょうか」 朝子「でも、大学病院の先生は、うちの娘のような症状を訴えるこどもが一人でもいたら、1割の児童が健康被害を受けている可能性があると言っているんですよ」 大石校長「大学病院の偉いお医者さんの立場もわかりますよ。でも、小学校には小学校の立場があるし、私の一存でできないこともある。私もいろいろと教育委員会や市役所の人たちと話をしましたが、因果関係もはっきりしていないのに、動くことはできないんです」 青ざめた表情をしたエリカと彼女の母親が職員室に入ってくる。 エリカの母親「先生。この子、気分が悪いので早退させていただきます」 朝子「(心配そうに)エリカちゃん大丈夫?」 エリカの母親「大丈夫ですよ。頭が痛くて気持ちが悪いなんて、こどもの気持ちしだい。気のせいですよ」 朝子「…でも」 エリカの母親「こどもの言うことをみんな真に受けてたら、親なんかやってられないですよ」 と、エリカの母親は職員室を後にする。朝子も美津もエリカに化学物質過敏症を伝えることができない。 ○ 6年3組の教室 緑川先生が黒板を背に授業している。 茜と夏美が並んで黒板を見ている。茜は活性炭入りの特製マスクをしている。 エリカは欠席している。 夏美の声「PTAの会長さんも、茜ちゃんのお母さんも、緑川先生も校長先生に必死に食い下がったようだったけど、この朝日が丘小学校でシックスクールが起きていることを知っている人はほとんどいなかった」 ○ 保健室 夏美がヒロシに付き添って保健室にやってくる。 夏美は膝を擦りむいたヒロシの傷口にマキロンを吹きかける。 ヒロシ「イッテエ--。もっと優しくしろよな」 夏美「何言ってんのよ。手当てしてもらえてるだけで感謝しろっていうの」 保健室には、数人の児童が休んでいる。 靖子「(体温計を確認しながら)熱はないようね…」 夏美「靖子先生」 夏美が養護教諭である靖子に意を決して語りかける。 すると突然、大石校長が保健室に入ってくる。 靖子「何、夏美ちゃん」 夏美「(大石校長の存在に気がついて口ごもる…)あの…、男子って、痛がりの弱虫ですよね」 と、夏美と靖子に同意を求める。夏美と靖子は校長の前で自然にふるまうことができない。 ○ 公民館・会議室 公民館の会議室に、親たちが集まっている。 顔ぶれは、朝子と美津。学校関係者は、緑川先生と保健室の靖子。そして、シックスクールを考える父母の会の代表の三枝がいる。 市会議員の柳井和子(45歳)がいる。 美津が司会を務めている。 美津「今日はお忙しいところ、集まっていただいてありがとうございました」 一同を見回し会釈をする。 美津「といっても、こんな人数しか集まっていませんが、朝日が丘小学校でシックスクールが起きていることすら知らせることができないんですから、しょうがない。これでもよく集まっていただけたと喜ぶべき。ほんとうに皆さん、お忙しいのにありがとうございます」 朝子が申し訳なさそうに頭をさげる。 美津「それじゃ、最初に市会議員の柳井さんにこれまでの経緯を発表してもらいましょう」 和子「いやぁ…、ほんとにごめんなさいね。何にもできなくて…」 美津「で、どうなんですか」 和子「教育委員会や市役所、保健所や厚生省、市会議員の仲間たちと手分けしていろいろと聞いてみたし、交渉してみた。でも、だめんなんですよ」 三枝が無言の表情でうなづく。 和子「5年前の時点で国は安全基準を設けているし、今回の場合はその基準もクリアされている。そして、症状を訴えているのは茜ちゃんだけ…。これじゃ何も動きようがない。」 美津「でも、同じような症状のこどもたちは沢山いるっていう話ですよ。ただ、親が遠くてお金のかかる大学病院にこどもを連れて行かないだけ…。そうですよね(と、靖子・養護教諭に語りかける)」 靖子「(立場上明確に言及できない)…」 美津「大学の山室先生のお話では、茜のような症状の子がひとりいたら、1割のこどもは同じ病気にかかっている可能性が高い。なのに、そんな問題が起きていることさえ、そこにいるこどもたちも親も知ることができない」 三枝「島津さん、しょうがないんですよ。僕らのときは幸運にも、PTAの中に建築学の大学の先生がいたから、マスコミも大々的にとりあげてくれたし、厚生省も動いた。でも、それって、ほんとうのことを言えば被害者のこどもたちや親たちが世の中を動かしたんじゃないです」 美津「…」 三枝「当の被害者のこどもは数年立てば卒業してしまう。だから、卒業してしまえば問題に関わろうとしない。そして、他の被害者のこどもたちも親たちも、学校や地域と摩擦を起こしたくない。こどもがたくさんいて、住宅ローンをかかえていれば、引越しなんかできない。ましてや、公立学校でこどもを育てようとしているなら、地域の親たちとも摩擦を起こしたくない。だから、大人たちは自分たちの都合ばっかり考えて、こどもたちの健康被害を見てみぬふりをする。あのときはニュースとしての価値があったのかもしれないけど、いまはどうなんだろう。こどもや親たちをテレビや新聞に登場させれば、まわりからの批判がその家族に集中するだろうし…」 美津「(たまりかねて、市会議員の和子に)何か方法はないのかしら…」 和子「普通だったら、地域や関係者で署名活動をして、市議会や行政を動かすんだけど、そもそも今回は何が起きているのかも、分かっていないのよね」 ○ 6年3組の教室 授業を聞いている茜は活性炭入りの特製マスクを外す。 和子の声「まずは、茜ちゃんがシックスクールだという証明をしないと何も始まらない。それには、大学の先生の精密検査の証明書があればいいのかも…」 夏美「茜ちゃん。もう大丈夫なの?」 茜「もうだいぶいいみたいなの」 夏美「(不信そうに)ほんとうに…? エリカも学校をずっと休んでいるし、私は何も感じないけど、この教室の環境、何も変わってないんじゃないの?」 茜「そうかしら。夏美ちゃんの気にしすぎよ」 茜は夏美の問いかけをふりはらうように、自分の頬を叩き、気合をいれて黒板に向かい、ノートをとり始める。 緑川先生が、茜の脇を通り過ぎる。 緑川「茜さん。勉強に気合いがはいってきましたね。やっと病気も回復に向かっているのかなぁ…」 と、安堵の表情をする。 ○ 図工室 6年3組のこどもたちが、揮発性の画材をつかって創作している。 その中に茜と夏美がいる。 茜の意識が一瞬薄れそうになる。 夏美は、茜のただならぬ雰囲気を察知して、 夏美「大丈夫?」 茜「大丈夫、大丈夫。昨日ちょっと夜更かししちゃっただけ。気合い、気合いっと」 茜は何度も目を瞬かせる。 ○ 6年3組の教室 緑川先生がこどもたちに授業をしている。 緑川先生「さぁ、みんなに読書感想文を書いてもらいます。みんながこの作文で頑張れば、本になってこの学校だけじゃなくて、市内のすべてのこどもたちや先生たちに読んでもらえることができます。市内で最も優秀な作文は、県でも紹介されるし、全国コンクールにも応募することになる。だからみんな、素晴らしい文章をかいて、日本中にきみたちの思いを知ってもらえるように頑張りましょう。 茜は、緑川先生の言葉を真剣に聞いている。 夏美は茜に小声で話しかける。 夏美「エリカが転校するって知ってる?」 茜「どうして」 夏美「エリカん家って、夫婦喧嘩がすごいって前から聞いてたんだけど、とうとう離婚することになったんだって。エリカのママって、PTAにきても強烈だったからね…」 茜「で、エリカは元気になったのかな…」 夏美「どうかしら。でも、ママの話だと、エリカが学校に行けなくなったことも、離婚の原因だったていうの…」 茜「そう…。転校すればエリカも元気になれるといいな…。で、最後に学校に来るのはいつなの?」 夏美「もう、学校に来ないんだって。みんなに挨拶もしないで転校なんて、エリカらしいけど、でも、ちょっと残念よね」 茜「---」 茜が悄然とする。 夏美の声「私はこのとき茜ちゃんがエリカちゃんのことをすごく心配していたことにまったく気がついていませんでした。そして、彼女がみんなのためにすごい決心をしていたことも…」 ○ 茜の家・茜の部屋 茜が勉強机で、原稿用紙に向かっている。 彼女のおでこにはヒヤピタが張られている。朝子がはいってくる。 朝子「どうしたの…。(原稿用紙をとりあげ)読書感想文か」 茜「ちょっと、見ないでよ(と、取り返す)」 朝子「最近あなた顔色悪いみたいだから、早く寝なさいよ」 茜「分かったから、早く出て行ってよ」 茜は再び、原稿用紙に向かう。 ○ 茜の家、外観 茜の勉強部屋の明かりが遅くまでともっている。 ○ 朝日が丘小学校・校庭 校庭では、先生の声にあわせて、クラス全員で体操をしている。 その平和な風景に、救急車のサイレンが響いてくる。 ○ 朝日が丘小学校・玄関 救急車で玄関前にとまっている。 ストレッチに載せられた茜が廊下を運ばれていく。夏美は、ストレッチを追走する。 夏美「茜ちゃんッ」 緑川先生「茜。大丈夫か」 校舎からこどもたちが顔を出して、救急車に運び込まれる茜の姿を見ている。 夏美は呆然として、救急車が出て行くのを見送る。その背後に6年3組の児童たちが立ち尽くしている。 ○ 大学病院の検査室 茜がさまざまな検査を受けている。 茜がクリーンルームに隔離されている。 大室医師と朝子がクリーンルームの茜を見やりながら話をしている。 茜がクリーンルームからさびしげに微笑みかける。 大室医師と朝子が微笑み返す。 大室医師が診断書を書いている。 夏美の声「朝日が丘小学校のみんなへの思いを茜ちゃんが具体的な行動に移していたことに、その時の私は気づきませんでした」 ○ 高原の学校・教室 戦前の小学校を彷彿とされる木造の教室で、数人のこどもたちと一緒に、茜は授業を受けている。 夏美の声「茜ちゃんが朝日が丘小学校からいなくなって、一ヶ月がたった頃、彼女が最後に読書感想文を書いていたことを、私は知りました」 窓の外には高原の景色が広がっている。 穏やかな表情をしている茜。 夏美の声「『そしてかえるはとぶ』を読んで、山口茜。主人公の良は病気になり、ずっと病院にいました。良はうまくしゃべれず、同級生にバカにされる。ある日、ケガをしてしまい…(いつしか茜の声に変わっている) ○ 朝日が丘小学校・6年3組の教室 こどもたちに、読書感想文の冊子が配られている。 ヒロシが、夏美の感想文を立って読んでいる。だが、その声はない。 茜の声「ずっと『そうぐ』をつけなければならなくなりました。そのことでまたいじめられる。でも、良はいじめなんて気にせず、お兄ちゃんや両親に励まされながらリハビリを続けました。幼稚園、小学校と、スクスクと育つ良君。どこまでもマイペースな良君を私はえらいなぁ、と思いました」 保健室から帰ってきた茜をからかうヒロシの映像(回想)がインサートされる。 茜の声「私は6年生の1学期にシックスクール症候群という病気になりました。頭痛が起きて、保健室から帰ってくると、クラスの友達は『おまえってズルだよな。本当は痛くなんてないんだろ。勉強したくないからって、行くんじゃねえよ』といわれました」 茜の家のダイニングキッチンで、朝子から叱られている茜の映像(回想)。 茜の声「私はそんなことがあったことを両親に言わず、なるべく気にしないで学校に行っていました。でも、意地悪や悪口を毎日されて、泣きながら帰ってきたこともあります」 ○ 市役所・市議会 市議会議員が集まって、市議会が開催されている。 市議会議員の和子は、茜の読書感想文を読んでいる。茜の声がいつしか、和子の声に変わっている。 和子「この本の主人公の良は、まだ四歳なのに私のようにいじめられたり、からかわれても泣かずに元気に過ごしている。それに比べて私は、ちょっと弱虫だなと思いました」 会議場のスクリーンには、「シックスクールにおける情報公開と対策について」のレジュメが映っている。 和子「病気になる前に、この本に出会えていたら、私はもう少し明るく毎日を過ごせたなと思いました。私は、この本の良くんから勇気をもらい、ちょっぴり元気になりました」 会場の市会議員たちは和子の発表に目頭を熱くしている。 *   *   * 散会後、教育委員会の職員が和子に近寄る。 市教育委員の職員(38歳)「(涙ぐみながら)先生。子どもにこんな悲しい思いをさせてはいけないです。何とか頑張りましょう」 と、和子の手をとる。その輪に何人もの人たちが集まっている。 ○ 朝日が丘小学校・6年3組の教室  夏美の手元にある、市の教育委員会が発行した読書感想文の冊子。 夏美の声「茜ちゃんの感想文は優秀賞にはなっていましたが、本に載っていません。ママは、『シックスクールという言葉があったから文集に載らなかったのよ』と、怒っていました」 ○ 高原の小学校・玄関 ×○△養護学校という看板が正面玄関にかかっている。 ○ 高原の小学校・教室 こどもたちが勉強をしている。こどもたちは何らかの健康上の問題をかかえているのだろう。その中に茜がいる。 夏美の声「私は、それが本当のことなのかどうか分かりません。ただ、彼女が自分の身体を危険にしてまで、何かを伝えようとしたのに、ほとんどの大人たちは見向きもせず、結果として、ほとんどの人が茜ちゃんの辛さをわかってあげられなかった。そのことが残念でなりません」 ○ 朝日が丘小学校・6年3組の教室 ヒロシが夏美の読書感想文の朗読を終える。拍手が沸き起こる。 夏美は、拍手に戸惑う。 夏美の声「いいえ、そうじゃない。茜ちゃんの一番近くにいた私こそ、彼女の辛さを分かっていながら何もできなかった。いちばんサイテーな人間なんです」 夏美は窓を開けて、深呼吸をする。その瞬間、軽い吐き気が襲ってくる…。 夏美が青ざめている。 夏美の表情がストップモーションになり、告知タイトルにオーバーラップする。 ○ 告知タイトル 化学物質過敏症の患者もしくは、その予備軍は、小学生全体の約三分の一存在すると指摘する医師も存在するほど、化学物質過敏症は、現代人の生活にとって危険な存在となっています。 しかし、この病気に気づいた関係者の多くは責任の追及を恐れて、有効な対策をとることはおろか、病気が起きていることさえ、明らかにしようとしません。 このドラマは創作ではあるものの、21世紀冒頭のまぎれもない現実を描いたものです。 (了)四百字詰め原稿用紙59枚